2017年05月29日

四季のランニングエッセイ 山西哲郎

これから毎月、「四季のランニングエッセイ」と題して書かせてもらいます。読んでもらい、何か、読後感想や互いの触れ合いの言葉あれば、お聞かせください。
 
6月は再生のランニング
 緑の大地を走る。朝のランナーは緑の自然が甦った季節ほど新鮮で幸せを感じることは他の季にはありません。
冬の寒さ厳しいとき、モーニングランが中心である僕は風を避け、それでいてあの太陽の日差しを浴びたくて走るコース探しを懸命に求める。しかし、夜明けが早く、緑風吹く今、走り始めのゆっくり走から、いつの間にか変化に富んだ起伏地に足が進み、次第にスピードすら上げてみたくなるではありませんか。
それは僕の体の内なる自然と周りの外なる自然が互いに対話し、このような走りをつくってくれるからでしょう。「寒いのだからゆっくり体を暖めたほうがいいよ」と、葉の枯れ落ちた木々や雑草もない土が教えてくれた冬から、花が咲き、若葉が草木を飾れば、「元気なエネルギーをもらいます」と僕の体が応えるのです。
老いた者にとっても、年一度は青春の走りが甦る時。芝地で素足なれば、指は開き、土踏まずも柔らかさを一杯に感じて、心地よい足となって子どもの走りに戻って走ってしまう。
しばらくは、道路を離れ、大会も休みにして、まずは、自分の身体をより野生の自然に戻して元気な夏を迎えたし。
 早朝の空気の中で私をわくわくとした気持ちにさせるのは、私のなかの自然であるに違いない―高木仁三郎
posted by miko at 00:00| Comment(0) | 山西先生のエッセイ

2016年04月16日

マラニックの春

 季節は梅で始まり、ハクモクレン、桜・・と色鮮やかな花々が次々に登場。それらに魅せられたのか、寒風のなかゴール目指してスピードを落とすまいと懸命になっていた走者は、花に魅せられ、しだいに走るスピードは落ち、いつしか花の香りで立ち止まる。そして、これからは新緑に誘われ、もっとゆっくり走ってみたい気分なってしまう。
 そこで、「春はマラニック」走りがゆっくりとなり、歩きを取り入れ、そして立ち止まり、俳句を一句詠めば、マラニックの世界。
『ランニングの世界21号』は、4月1日に発刊になりましたが、特集は「楽しきかなマラニック」表紙も、我々の友の会主催で行った隅田川の桜並木マラニックを走る走友の笑顔を載せました。
 マラソンのようなロングランの大会は我が国の四季のふさわしさを生かさなければなりません。フルマラソンを歩かず完走する大会とすれば、春には走り歩きを組み合わせたマラニック大会とする。それぞれの走り方の特性に従えば、若々しく走るランナーは42.195qを歩かず完走をめざし、僕のように老いたるランナーは走る人生にもっと豊かに美しさを楽しもうと、歩き走りのマラニックとすればいいと思えてきます。
 この21号には、「競わず頑張らず、楽しく走る、そんなマラニック人が魅かれていくのは、自然の流れだろう。マラニックが、忘れてしまったゆとりを思い出させてくれる」と、かつてオーストラリア大陸横断に挑み、今年の4月も岡山で歴史街道マラニックを主宰する村松達也さんの言葉が載っています。
 マラソンブームと言われ全国各地でフルマラソンを謳歌する今日、「息切れよりは会話で、もっとゆっくり自然を愛する走者になる時がやってきましたね」と語り合う春にしたいものです。
posted by miko at 00:00| Comment(0) | 山西先生のエッセイ

2016年01月24日

ランニングの世界・友の会の皆様

 新年の始まりから、厳冬の季。いかなる走りでしょうか。
 「今年こそ、毎日休まず走ってみよう」と決意した方も多いではありませんか。しかし、「元旦から17日間は走り続けたのですが、あの雪で3日間休んでしまいました」と、少々淋しげな表情で語る前橋の走友もいます。「そうか」雪のほとんど降らない乾いた大地の群馬では、雪降れば、走れない→休みだという公式が生まれてくるのです。そこで、この3日前、北海道に行ってきた僕には、ニコリとスマイルで説き始めました(退職してもやはり、心は教師なのですね)
 「札幌の夜の街をほろ酔い気分で歩いていた時、雪と氷の道で滑った時、歩き方が悪いんですよ、埼玉の熊谷育ちの教え子が自慢げに言うのです。踵から着地しては滑るのです。歩幅を縮めて足裏全体で着地して、足先の方でキックするのです。やってみれば、なるほど足を滑らすこともなく、スタスタと歩けるではありませんか。これは、北の国の人たちがつくりあげた『雪道歩き技法』なんですね」
 その翌朝、札幌駅前の北海道大学のキャンパスに出かけ、除雪された歩道の雪道を『雪道歩き技法』で歩きました。そして、同じような技法で走ってみれば走れるのです。いつもよりゆっくりとしたスピードですが、リズミカルに快適。いつしか白い風景の一員となった気分で新鮮なモーニングランになったのです。
 前橋の自宅に帰れば、20センチ以上の雪。そこで、近くの広いグランド出かけて、北海道で身につけた走る技法を生かしてモーニングランをしようと張り切りました。グランドは芝生の1周400mと広いのですが、今朝は真っ白。走れないと思いつつ走ってみれば雪が氷点下の気温でやや固くなり、まるで砂のようではありませんか。いや、砂浜よりは粒が大きいので、シューズでも走りやすいのです。着地は足裏全体、キックはつま先の方と切り分けて足を動かせればスローランニングができるではありませんか。しだいに体は暖かく、雪の小さな粒が朝陽で輝き、体を起こしてみれば遠くに谷川岳や三国連峰の澄み切った白色の峰が見え、身も心も弾み、時間は5分、10分と延びていきました。
 自然がたとえ厳しくても、走者が新しい走りを探そうとすれば、新しい感覚と技法を与えてくれると嬉しくなってきました。  今年もこんな年にしたいものです。(2016.1.24記) 
P1010014.jpg
写真は雪の北海道大学構内
posted by miko at 00:00| Comment(0) | 山西先生のエッセイ