2014年03月24日

大地の暖かさ

陽光で春の始まりを感じ、風のなかに暖かさを見つける春。そして、草地や砂地を歩み足からしっかり春を知る私たち。
少年の頃、自宅に近い鳥取砂丘の雪が消え、湿った砂がしだいに乾き始めると、僕は友達と一緒に素足になって走りました。でも、砂はまだ冷たく、つま先立ちで歩いていると「おーい、ここは温かいぞ」と、友の声。光をいっぱい浴びている砂地は足裏の温覚を目覚めさせ、「春が来たぞ」と足の声。10本の指は砂をしっかり掴むようにのびやかに広がり、砂が触れる土踏まずも伸びて、次第に足から脚の筋肉へと力が伝わり、砂丘をどんどん走ることができました。

今朝、春の陽射しを浴びながら歩き走って体が暖まり、まだ枯れた芝草地を見つけると子供の頃を思い出し、早速、素足になると芝生がホカホカと暖かく足を包み込みます。

日本が初めてオリンピックに参加したのは1912年のストックホルム大会。まだ、スポーツが国際的レベルに達していないときでしたが、陸上競技の短距離に三島弥彦、マラソンに金栗四三の2名だけが選手として出場しましたが、マラソンのレベルは世界に引け取らないほどでした。しかし、金栗選手は大会では暑さのために意識もうろうとなって自分の走りができず途中棄権をしてしまいました。でも、帰国後、金栗さんはマラソンレースで驚異的な世界記録を出すと同時に、多くのランナーに呼びかけて、日本の初めての駅伝競走である遷都50周年東海道五十三次駅伝競走をはじめ、各地で駅伝や日光から東京までの130qの長距離走や富士登山競走など、次々と大会を開催できたのは、当時からランニングにふさわしい脚力をもった風土や生活スタイルであったことがうかがわれます。

日本は山が多く起伏に富んだ土の道を草履や草鞋、足袋、下駄といった素足かそれに近い履物で日々良く歩く生活でした。特に子どもたちは素足でよく遊んでいました。それが長距離走を走るに適した資質を創ってくれたから、今でもマラソン大好きな人たちが多いのです。現在、なぜケニアやエチオピアのマラソンが強いかを調べてみれば、遺伝的な面よりむしろ、学校に10km以上の道のりを素足で歩き走り通う生活から生じていることが判り、昔の足腰の強いかつての日本人によく似ています。

ならば、この春、柔らかい草地の道を少し底の薄いシューズを履き歩き、芝地や砂地でもあれば素足となってゆっくり走れば春が自然の生き物を再生するようにわれらも足から元気復活を与えられると感じてきます。

足は第二の心臓なり。
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2012年07月02日

7月の走る言葉

 夏は風となって走りたくなる季節。6月は、いつもの年の蒸し暑さはなく、まるで北海道か、ヨーロッパで感じるような湿気のない涼しい風が膚に触れ、心地よいランニングを楽しむことができました。こんな時、大会に出ようかとか、記録を追って走るよりは、この自然が与えてくれる五感から満喫できる走る喜びをさらに豊かにしようと思いつつ走りたくなるものです。
 でも、膚から生じる汗は次第に増えてきています。それは、冬に閉じこもっていた汗腺が開き、動きと日々高くなってくる温度で上がりがちな体温を、汗による冷却によって過度にならぬように対応してくれる我が体の生理的努力を知ることができます。
 夏は自然人になるとき。薄着で膚を露わにして、光や風を浴び、時には水をかけ、自然と一緒になって走ろうと仕掛けます。涼しい朝、木陰の下、川辺の道、草地のトレイル、素足での芝地・・と、涼しさを慕い求めながら走る楽しさの工夫。部屋の中で人工的に温度や湿度を調整するよりは、暑さを自らの自然力によって、しだいに、若々しい走りがダイナミックな夏を与えてくれ、野生のランナーになって来る時です。
 もし、ロングランをやりたいならば、足裏が焼けつくような地べたを這って走るのではなく、自転車で地面から高く離れたペダルとサドルの体を置き、走よりは2,3倍強い風が肌に当たり、いつもの走る時間が2,3倍も延びてとなって、一層、スタミナが快適にできているから不思議です。
  夏、いろいろな走り、いろいろな動き、いろいろな自然によって、体いっぱいランニング力を身につければ、秋の涼しい風が吹き始めると、急に足が前に前に進む。それは、きっと、豊かにに積み上げた走りが稲穂のように実った時なのでしょう。
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2012年03月28日

遅い春を追走す 2012年4月の走る言葉

 遅い春。われらの「息切れして速く走るよりは、ゆっくり走が人間には向いているのだ」という走る理念に自然は従ってくれたのか、ゆっくりと春は進んでいます。でも、そんなにゆっくりされると、私たち人間は、ますます季節感が鈍くなり、われらランナーもいつまでも冬の走りで単調で退屈になってしまっているのです。「スピードが上がらないな」とか、「肥って体が重い」といいながら・・・
 最近、春になっても、初夏になっても「フルマラソンに出ます」というランナーが多くなりました。私が「春ですよ、もう、やめたらどうですか」と言えば、「どうしてですか」と、言われることが多いですね。
 今、この原稿をヴィヴァルディの『四季』を聞きながら書いています。その『春』の曲が流れてくると他の季節とは全く異なる新鮮な、躍動的なリズムとハーモニーが流れてきます。音楽も走楽も感性豊かな遊びの世界。となれば、そろそろ冬のかけっこは止めにして、春の走りに変えて自然の春を早く誘ってあげましょう。
 土の道は、とっくに土筆やフキノトウが顔をだし、たくましい雑草が青々と生え、土は緩み弾む大地。梅咲く林、桜咲く公園を走れば香りで体は春爛漫。そのなかでのゆっくり走は、いつしか、気持ちも体も燃えスピードが上がる。と、息が上がり疲れが出て長くは走れません。でも、それが春にふさわしい走りなのです。
 春は、五感が刺激され、単調ではなく、豊かな走りをする時ですね。フラットな道から起伏の富んだ柔らかい足元。春の風景を探すようにコースを日々変え、スピードも単一にならぬようにいろいろなスピードでの方法をつくります。そして、春は子どもに戻る時。子どものように自然で柔らかい自由奔放なフオ―ムの復活。練習も大会も、人間だけではなく、春の生き物たちと一緒の集まりをつくりたし。
 やがて、若々しいランナーに変身になることが春の走りの目標です。
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