2018年12月25日

自然回復力  ゆっくり冬となるわが力

 季節がゆっくり動き始める。陽光は淡い輝き、風には冷たさを感ず。広がる大地の緑はしだいにあざやかな多色の変わり、やがて色は落ち、曇天の下、一面すっきりとした裸の風景となる。だが、過ぎ去るこの夏も秋は、自然は猛暑、多雨、激風、そして噴火と激しく暴れ、その傷跡からいまだに回復をせず。
 季節のゆっくりとした変化と激しい変化の自然の有り様から自然の一員であるわれらの身体にも、同じような現象を見ることができます。身体は自分を見失うような激しいほどの運動やスポーツ活動では痛みと疲労が伴い、自らの力では元になかなか戻すことができず病の域に陥ってしまうことすらあります。しかし、ゆっくりとした動きは自らの体の筋肉や呼吸と語り、周りの風景と触れ心地よさを感じるほどのゆっくり強度の軽い運動では、いつしかその季節にふさわしい体になったと思えるようになるものです。それは体ばかりか、心がその季節を味わうゆとりができ、そこから、体の言葉が創られてきます。
 ルソーは『孤独者な散歩者の夢想』で「人生には心の平和が必要であり、それには均一でほどほどの運動が必要であり、強すぎては、夢想の魅力を毀(こわ)してしまう」と語り
自然の力で健康を取り返そうとしたのです。
 ところで、「疲れるから」といって運動をしない人がいます。もし運動によって疲労が生じなければ、疲労から元の状態に戻そうとする力が湧かず、そのままでは筋肉も呼吸循環もしだいに衰えてしまう。だから、生きるには、運動で生じた疲労を回復させようとする力が必要なのです。これが自然治癒力であり、黄金の休息といえるほどの時間を持つことができるのです。
ゆっくり走る。息切れをせず、体全体はリズム感を持つ音楽家になり、目は周りの草花の美しさに魅せられ、頭の中を過る思いは楽しいけれど生理的には徐々に疲労が生じる。そこで、走ったという達成感に満足して、消耗したエネルギーを食事でとり戻し、疲れた筋肉を休め、音楽や読書で心を癒す。翌朝には昨夜より、新鮮さを感じる身体となればいい。 
 冬隣り。寒さがわれらを包む前に、ゆっくりと動きながら、しだいに冬を友としていきたいものです。
  
朝寒や白粥(かゆ)うまき病み上がり 草城
麻寒やゆっくり走り暖の人  哲郎
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2018年08月09日

ぎんざんマラニック2018

北海道の仁木町銀山地区で、7月28日、今年で第12回目のぎんざんマラニックが晴天のまぶしい大地で開催された。

 果物と野菜の町として知られる銀山には、障がい者が学び、生活する銀山学園がある。マラニックとはマラソンとピクニックの融合、つまり、ランニングをピクニック気分で楽しむことだ。これを奨めているわがランニングの世界・友の会の西村会長と、この地の銀山学園や住民の方々が、障がい者と健常者がいっしょにできるのはマラニックだと意気投合してこのぎんざんマラニックを始めた。

 銀山学園の子供たちと参加者は、7km、10km、20kmとそれぞれにふさわしい距離を、心地よい木陰の涼しさの中、爽やかな風に吹かれながら語りあい、野の道を進む。給水所では、地元の方が用意してくださった真っ赤なミニトマトやスイカで元気を取り戻す。

 暑くて、とても長いと思っていた距離も、いつしか、共にスマイルで完走・完歩。ゴールして、心づくしの豚汁をいただきながら、また来年会おうと、ともだちになって、さようなら。

山西 哲郎

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北海道仁木町銀山はここです!
https://goo.gl/maps/m9y6dDPTLkG2

ぎんざんマラニック2018 facebook
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ぎんざんマラニック2018
https://sites.google.com/site/ginspo/home/maranikku2011

仁木町のご紹介
http://www.town.niki.hokkaido.jp/section/somuka/immd6j00000017e3-att/immd6j0000001uee.pdf
posted by miko at 22:05| Comment(0) | 山西先生のエッセイ

2017年08月14日

季節を走る言葉 2017年夏  山西哲郎

 ランナーは五感を甦らし大地を進む人。特に、季節の夏と冬には、体全体の感覚で激しく厳しく暑さ寒さを感じ、それに負けてはならぬと、いかにすれば少しでも楽しく心地よく走れるかと知恵を働かせるとき。
 今年も早くも6月下旬から真夏の様相でした。その中で、走るみなさんは、時間や場所、服装、スピード、をうまくコントロールして暑さ対策と銘打って、いろいろ試みているのではありませんか。
 私のこの夏の走り方は、まず足元から始めました。まず、鉄板焼きのような地熱の舗装道路からできるだけ離れ(まさにオフロード)、芝地や草地や土の道で涼しさと心地よさを感じる。やがて、体全体がほぐれと、野山のトレイルを走りたくなってくる。最初は地形の凸凹で走りにくいのですが、むしろ、平坦よりはもっと多くの筋肉や腱を使うので疲労感や筋肉痛が少なく、少年の頃、野山や砂浜を鳥の声をききながら、自然の風と一緒になって走ったあしを思い出す。
 この7月下旬のイタリアの雄大な大地のトスカーナに出かけて走ったのですが、舗装道路は少なく、農道、森や林のトレランの道も土ばかりで、涼しさを感じて快速走。地元のアスリートに聞けば「舗装の道は、着地で硬く感じる衝撃が嫌ですね」の一言。わが国でも公園や河川敷の草地や土道を探せばあるものです。それよりは草地があるのに、わざわざ?舗装の道を走る人が意外と多いものです。でも2,3週間走っていると、自然を眺める目と足は心地よさを求めて草地のランナーになってしまいます。
 もう一つの心地よい走りは素足走。芝地でもあれば、わずか50メートルでもいい、さっそく靴を脱ぎ、素足で走れば、10本の指は開き、1本ずつ動き解放された体と心で自由走。
 日常、靴で閉じ込められた多くの足部や脚部の筋肉や腱が、繊細に正確に大いに動き始め、たくましく、痛みや怪我の少ない「あし」となり、心まで解放感いっぱいになって走り込みの秋を迎えていきます。
 日のくれて しばらくものの見ゆる時 広き芝生に われは息づく  岡 麓

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posted by miko at 16:25| Comment(0) | 日記