2022年04月26日

ランニングの世界  春のエッセイ  山西哲郎

春のウォーク・ラン風景
 季節は自然の風景と私たちの自らの脚の感覚によって変わってくる。
土を露にした冬の大地。土道にも緑の草なく、葉もない裸木の林。冷たい風は走者の身体を冷たく硬くして精神力によって進むのみ。

しかし、その厳しい冬を耐え走りも、もうすぐ暖かい風が春を呼んでくれるという希望が湧いてくる。そして、大地の自然が甦ってくれば、原風景は新た変わり、私たちの冬の走る、歩きも新たに前へ前へと進む力が湧き、変化に富んだ走る動きや速さ、持続力を生み出し始める。

その春への変化はまず体の脳で感じる感覚と筋感覚の対話で始まる。梅林の間を縫って歩いていると、まず、香りから、梅の小さな花が咲いているのを教えてくれ、しっかりと香りを感じようとランの足からからウォークに変わる風景。

やがて、桜のつぼみが枝から膨らみ、咲き始めると香り以上に裸木が桃色の鮮やかな衣をつけ、桜並木やあちこちの桜を探し回り、走っては歩くごちゃまぜジョギング風景。

農家の人たちの春は大地に光と風を与えようと耕し始める季節でもある。田畑の畔道には、草花が芽を出し小さな花を咲かせてくれる。畑の土の畦道を翁草(オキナ草)、青紫のオオイヌノフグリ、黄色の花もある、そして、田にはレンゲ草。余りに綺麗だから、踏んではならぬと散歩風景。

やがて、若葉の森のなかのトレイルの道に入れば、起伏に富んだ走りとなってクロスカントリー風景。

森を出て、見通しの良い土手の上を走れば、黄色の菜の花が一面に広がっている。すると走るスピード感覚はスローになり、走る時間は延びるLSDの風景。

歩く・走る風景はウォーカーやランナーもいっしょになって創っていく世界。さあ、これから5月の風になってどのような風景を創ってみようかな。

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2022年04月22日

ランニングの世界 2022年 春風のマラニック  山西哲郎

 春の風は、山からも、海からも吹き始めます。
今、住む前橋は、冬には強い北風が赤城山から吹き下ろす。それも冷たく強く、体全身が寒さで怯えるほど。冬には、それに耐える強い気持ちが必要ですが、チラホラと桜が咲き始めると、しだいに風は弱くなり、草木に緑の葉が顔を出し、光を浴びると暖かさを感じ始めます。温度計ではなく、風の変化によって、それも体いっぱいに包まれて知るのです。
 4月の10日に、岡山の備中高梁歴史街道マラニックの大会がコロナ禍を超えて行われました。
われら「ランニングの世界」の中心的存在の村松達也夫妻は、地域の方々と共に実行員会をまとめ、かつての銅山である吹屋地区を出発ゴールにして72qの起伏の激しいコースのマラニック大会を立ち上げたのです。
 今年で13回目。この難コースを12時間以内で走れるのかと、僕自身が不安になり、スタート前に参加者に準備体操を教えながら「前半は下り坂をゆっくり走り、後半の登坂を頑張りましょう」と伝え、途中の路上では一人一人に声掛けをしていました。

※写真はクリック(タップ)すると大きくなります。

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毎回参加している、盲人ランナーの久保 瞳さん

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菜の花、旧坂をスマイルで駆け上る

しかし、ゴールする人たちは、コロナで中止になるかと思ってか「来年も開催をお願いします」。春の風と桜と緑の若葉風景に満喫したのか「いやあ、楽しく快適でしたよ」のスマイル言葉。「エイドの食べ物、飲み物おいしく最高でした」と地元の手作りの味に感謝して、次から次へと感性豊かな言葉が語られ、山並みの自然も街道の風景も走る人支える人も一体化して美しいマラニック模様が展開していました。
 昨年の12月の病いから立ち上がった僕もスッカリ元気になり、春は再生の季節だと、出会った自然風景や人々に感謝でいっぱいでした。
posted by miko at 17:48| Comment(0) | 山西先生のエッセイ

2019年06月12日

走る言葉 6月

 初夏は緑の風  山西哲郎
 田舎に住む走者にとって、最も季節の変化を感じるのは春から初夏。
冬は裸の大地が広がり、そのうえを冷たい風が、落ち葉と踊りながら走り抜ける。やがて、小さな緑の生命が土の中にも裸木にも顔を出す。草花が美しく化粧して色豊かになってくると、路上の走者の冷え冷えしたからだと心とが暖かくなってくる。
こんな時こそ、「走り始めるならば、春ですよ」と、僕は歩いている人に、お節介者になって語りかけてしまうのだ。
そのうち、裸の大地の土は掘り返し耕されると、一面に小川から水が張られて、まるで池のような水田となり、そして、苗が植えられ田植えが始まる。
その田のあぜ道を走りながら「一列に並んで植えていた頃が懐かしいでね」と、近所の農家のおじさんに語りかければ「今は一人で機械を使ってやるからすぐに終わってしまうのだよ」と、一言。
水田の上を風が吹き、まだ幼い苗が揺れる。あっけなく田が変わってしまう風景に淋しさを感じていた僕はその風に戯れる苗で心が癒され、一方、肌は風に触れ心地よさを知り、走る体になっていく。前方を望む目には、遠く北の山並のまぶしく輝く白き雪と黒き岩肌が新たな姿を教えてくれる。
初夏の僕たちは、冷たい日々には風を避け、背中を丸く身体を固くし走っていたのに、光と暖かさの訪れで身も心も解放して、いかなる地形でも自由にトレイルの道を選び、走るスピードもフオームも変えながら自由にあふれた走者になっていけるのだ。
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posted by miko at 16:18| Comment(0) | 山西先生のエッセイ