2017年08月14日

季節を走る言葉 2017年夏  山西哲郎

 ランナーは五感を甦らし大地を進む人。特に、季節の夏と冬には、体全体の感覚で激しく厳しく暑さ寒さを感じ、それに負けてはならぬと、いかにすれば少しでも楽しく心地よく走れるかと知恵を働かせるとき。
 今年も早くも6月下旬から真夏の様相でした。その中で、走るみなさんは、時間や場所、服装、スピード、をうまくコントロールして暑さ対策と銘打って、いろいろ試みているのではありませんか。
 私のこの夏の走り方は、まず足元から始めました。まず、鉄板焼きのような地熱の舗装道路からできるだけ離れ(まさにオフロード)、芝地や草地や土の道で涼しさと心地よさを感じる。やがて、体全体がほぐれと、野山のトレイルを走りたくなってくる。最初は地形の凸凹で走りにくいのですが、むしろ、平坦よりはもっと多くの筋肉や腱を使うので疲労感や筋肉痛が少なく、少年の頃、野山や砂浜を鳥の声をききながら、自然の風と一緒になって走ったあしを思い出す。
 この7月下旬のイタリアの雄大な大地のトスカーナに出かけて走ったのですが、舗装道路は少なく、農道、森や林のトレランの道も土ばかりで、涼しさを感じて快速走。地元のアスリートに聞けば「舗装の道は、着地で硬く感じる衝撃が嫌ですね」の一言。わが国でも公園や河川敷の草地や土道を探せばあるものです。それよりは草地があるのに、わざわざ?舗装の道を走る人が意外と多いものです。でも2,3週間走っていると、自然を眺める目と足は心地よさを求めて草地のランナーになってしまいます。
 もう一つの心地よい走りは素足走。芝地でもあれば、わずか50メートルでもいい、さっそく靴を脱ぎ、素足で走れば、10本の指は開き、1本ずつ動き解放された体と心で自由走。
 日常、靴で閉じ込められた多くの足部や脚部の筋肉や腱が、繊細に正確に大いに動き始め、たくましく、痛みや怪我の少ない「あし」となり、心まで解放感いっぱいになって走り込みの秋を迎えていきます。
 日のくれて しばらくものの見ゆる時 広き芝生に われは息づく  岡 麓

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posted by miko at 16:25| Comment(0) | 日記

2017年05月29日

四季のランニングエッセイ 山西哲郎

これから毎月、「四季のランニングエッセイ」と題して書かせてもらいます。読んでもらい、何か、読後感想や互いの触れ合いの言葉あれば、お聞かせください。
 
6月は再生のランニング
 緑の大地を走る。朝のランナーは緑の自然が甦った季節ほど新鮮で幸せを感じることは他の季にはありません。
冬の寒さ厳しいとき、モーニングランが中心である僕は風を避け、それでいてあの太陽の日差しを浴びたくて走るコース探しを懸命に求める。しかし、夜明けが早く、緑風吹く今、走り始めのゆっくり走から、いつの間にか変化に富んだ起伏地に足が進み、次第にスピードすら上げてみたくなるではありませんか。
それは僕の体の内なる自然と周りの外なる自然が互いに対話し、このような走りをつくってくれるからでしょう。「寒いのだからゆっくり体を暖めたほうがいいよ」と、葉の枯れ落ちた木々や雑草もない土が教えてくれた冬から、花が咲き、若葉が草木を飾れば、「元気なエネルギーをもらいます」と僕の体が応えるのです。
老いた者にとっても、年一度は青春の走りが甦る時。芝地で素足なれば、指は開き、土踏まずも柔らかさを一杯に感じて、心地よい足となって子どもの走りに戻って走ってしまう。
しばらくは、道路を離れ、大会も休みにして、まずは、自分の身体をより野生の自然に戻して元気な夏を迎えたし。
 早朝の空気の中で私をわくわくとした気持ちにさせるのは、私のなかの自然であるに違いない―高木仁三郎
posted by miko at 00:00| Comment(0) | 山西先生のエッセイ

2016年04月16日

マラニックの春

 季節は梅で始まり、ハクモクレン、桜・・と色鮮やかな花々が次々に登場。それらに魅せられたのか、寒風のなかゴール目指してスピードを落とすまいと懸命になっていた走者は、花に魅せられ、しだいに走るスピードは落ち、いつしか花の香りで立ち止まる。そして、これからは新緑に誘われ、もっとゆっくり走ってみたい気分なってしまう。
 そこで、「春はマラニック」走りがゆっくりとなり、歩きを取り入れ、そして立ち止まり、俳句を一句詠めば、マラニックの世界。
『ランニングの世界21号』は、4月1日に発刊になりましたが、特集は「楽しきかなマラニック」表紙も、我々の友の会主催で行った隅田川の桜並木マラニックを走る走友の笑顔を載せました。
 マラソンのようなロングランの大会は我が国の四季のふさわしさを生かさなければなりません。フルマラソンを歩かず完走する大会とすれば、春には走り歩きを組み合わせたマラニック大会とする。それぞれの走り方の特性に従えば、若々しく走るランナーは42.195qを歩かず完走をめざし、僕のように老いたるランナーは走る人生にもっと豊かに美しさを楽しもうと、歩き走りのマラニックとすればいいと思えてきます。
 この21号には、「競わず頑張らず、楽しく走る、そんなマラニック人が魅かれていくのは、自然の流れだろう。マラニックが、忘れてしまったゆとりを思い出させてくれる」と、かつてオーストラリア大陸横断に挑み、今年の4月も岡山で歴史街道マラニックを主宰する村松達也さんの言葉が載っています。
 マラソンブームと言われ全国各地でフルマラソンを謳歌する今日、「息切れよりは会話で、もっとゆっくり自然を愛する走者になる時がやってきましたね」と語り合う春にしたいものです。
posted by miko at 00:00| Comment(0) | 山西先生のエッセイ