2018年08月09日

ぎんざんマラニック2018

北海道の仁木町銀山地区で、7月28日、今年で第12回目のぎんざんマラニックが晴天のまぶしい大地で開催された。

 果物と野菜の町として知られる銀山には、障がい者が学び、生活する銀山学園がある。マラニックとはマラソンとピクニックの融合、つまり、ランニングをピクニック気分で楽しむことだ。これを奨めているわがランニングの世界・友の会の西村会長と、この地の銀山学園や住民の方々が、障がい者と健常者がいっしょにできるのはマラニックだと意気投合してこのぎんざんマラニックを始めた。

 銀山学園の子供たちと参加者は、7km、10km、20kmとそれぞれにふさわしい距離を、心地よい木陰の涼しさの中、爽やかな風に吹かれながら語りあい、野の道を進む。給水所では、地元の方が用意してくださった真っ赤なミニトマトやスイカで元気を取り戻す。

 暑くて、とても長いと思っていた距離も、いつしか、共にスマイルで完走・完歩。ゴールして、心づくしの豚汁をいただきながら、また来年会おうと、ともだちになって、さようなら。

山西 哲郎

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北海道仁木町銀山はここです!
https://goo.gl/maps/m9y6dDPTLkG2

ぎんざんマラニック2018 facebook
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ぎんざんマラニック2018
https://sites.google.com/site/ginspo/home/maranikku2011

仁木町のご紹介
http://www.town.niki.hokkaido.jp/section/somuka/immd6j00000017e3-att/immd6j0000001uee.pdf
posted by miko at 22:05| Comment(0) | 山西先生のエッセイ

2017年08月14日

季節を走る言葉 2017年夏  山西哲郎

 ランナーは五感を甦らし大地を進む人。特に、季節の夏と冬には、体全体の感覚で激しく厳しく暑さ寒さを感じ、それに負けてはならぬと、いかにすれば少しでも楽しく心地よく走れるかと知恵を働かせるとき。
 今年も早くも6月下旬から真夏の様相でした。その中で、走るみなさんは、時間や場所、服装、スピード、をうまくコントロールして暑さ対策と銘打って、いろいろ試みているのではありませんか。
 私のこの夏の走り方は、まず足元から始めました。まず、鉄板焼きのような地熱の舗装道路からできるだけ離れ(まさにオフロード)、芝地や草地や土の道で涼しさと心地よさを感じる。やがて、体全体がほぐれと、野山のトレイルを走りたくなってくる。最初は地形の凸凹で走りにくいのですが、むしろ、平坦よりはもっと多くの筋肉や腱を使うので疲労感や筋肉痛が少なく、少年の頃、野山や砂浜を鳥の声をききながら、自然の風と一緒になって走ったあしを思い出す。
 この7月下旬のイタリアの雄大な大地のトスカーナに出かけて走ったのですが、舗装道路は少なく、農道、森や林のトレランの道も土ばかりで、涼しさを感じて快速走。地元のアスリートに聞けば「舗装の道は、着地で硬く感じる衝撃が嫌ですね」の一言。わが国でも公園や河川敷の草地や土道を探せばあるものです。それよりは草地があるのに、わざわざ?舗装の道を走る人が意外と多いものです。でも2,3週間走っていると、自然を眺める目と足は心地よさを求めて草地のランナーになってしまいます。
 もう一つの心地よい走りは素足走。芝地でもあれば、わずか50メートルでもいい、さっそく靴を脱ぎ、素足で走れば、10本の指は開き、1本ずつ動き解放された体と心で自由走。
 日常、靴で閉じ込められた多くの足部や脚部の筋肉や腱が、繊細に正確に大いに動き始め、たくましく、痛みや怪我の少ない「あし」となり、心まで解放感いっぱいになって走り込みの秋を迎えていきます。
 日のくれて しばらくものの見ゆる時 広き芝生に われは息づく  岡 麓

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posted by miko at 16:25| Comment(0) | 日記

2017年05月29日

四季のランニングエッセイ 山西哲郎

これから毎月、「四季のランニングエッセイ」と題して書かせてもらいます。読んでもらい、何か、読後感想や互いの触れ合いの言葉あれば、お聞かせください。
 
6月は再生のランニング
 緑の大地を走る。朝のランナーは緑の自然が甦った季節ほど新鮮で幸せを感じることは他の季にはありません。
冬の寒さ厳しいとき、モーニングランが中心である僕は風を避け、それでいてあの太陽の日差しを浴びたくて走るコース探しを懸命に求める。しかし、夜明けが早く、緑風吹く今、走り始めのゆっくり走から、いつの間にか変化に富んだ起伏地に足が進み、次第にスピードすら上げてみたくなるではありませんか。
それは僕の体の内なる自然と周りの外なる自然が互いに対話し、このような走りをつくってくれるからでしょう。「寒いのだからゆっくり体を暖めたほうがいいよ」と、葉の枯れ落ちた木々や雑草もない土が教えてくれた冬から、花が咲き、若葉が草木を飾れば、「元気なエネルギーをもらいます」と僕の体が応えるのです。
老いた者にとっても、年一度は青春の走りが甦る時。芝地で素足なれば、指は開き、土踏まずも柔らかさを一杯に感じて、心地よい足となって子どもの走りに戻って走ってしまう。
しばらくは、道路を離れ、大会も休みにして、まずは、自分の身体をより野生の自然に戻して元気な夏を迎えたし。
 早朝の空気の中で私をわくわくとした気持ちにさせるのは、私のなかの自然であるに違いない―高木仁三郎
posted by miko at 00:00| Comment(0) | 山西先生のエッセイ